25年前までここは魚屋だった!親父が残した場所で台本を書く倅は放送作家【博多ヒト志】

こんにちは!ライター西浦です。

先日、ロンパルの店長に「大正区にめっちゃおもろい人おるねん!」と教えていただきました。

店長曰くその方は、カリスマ放送作家で、噴水の名前付けた人で、フラッグフットボールで日本一になって、その監督もして、毎週釣り行ってて、なんせ頭がむっちゃ切れる人!です。

情報多っ!って思いましたがとにかく「めっちゃおもろい人」と紹介していただいたのは初めてだったので、これはお会いしないと!とドキドキしながらアポを取らせていただきました。

 

「有限会社 仕事場」代表の博多ヒト志さん

大阪市大正区出身。大阪NSC10期生で4人グループ「電車道」のリーダーとして活躍後、関西を拠点に活動する放送作家として活動中。
現在の担当番組は「八方・陣内・方正の黄金列伝」「せやねん」「漫才LOVERS」など。

テレビ番組の企画・構成をする放送作家事務所「有限会社 仕事場」代表取締役であり、海釣りと魚料理がライフワーク。

まず、ウィキペディアに名前が載ってる人に会うことってなかなかないですよね。ちょっと緊張でしたが、実はめっちゃ気さくな方で安心したところです。

 

 

なんと、事務所は三泉商店街に!

よく行く三泉商店街、この屋号を目にしながら… 建設会社かなーと勝手に思い込んで頻繁に通り過ぎてました。まさか放送作家事務所とは夢にも思いませんよね笑。

また何で商店街に?と思いましたが、実はここ、お父様が魚屋をやっていた場所なんだそう! 博多さんは魚屋のせがれ。お父様が残したものを活かしたいという想いで受け継がれていたんですね。歴史を感じます。

と言っても「仕事場」って会社名はやっぱり気になります。

 

「仕事場」という社名の由来を教えてください。

20年前に改装して、最初は遊び場やったんですよ。

本来は個人的に作業ができる隠れ家として作ったんですが、仕事を手伝ってもらうために若い子をよんで、来てくれたのはいいんですが、仕事もせずにギター弾いたり、ゲームしたりずーーっと遊んでましたね。結局仕事もそんななくて、ほんまに毎日遊ぶ場所になってました。

ほんで、そのうち会社にしようか!となり相談した時に、「名前くらいは仕事してる風にしようや」となって、「仕事場」になりました。それでも毎日遊んでましたけどね。

 

ーーー え、遊び場が仕事場になったんですね。仕事場行ってくるわーって遊んで帰るんですね。それ、罪悪感あるけど・・・おもろい。ナイスネーミングですね。

そんな立派な仕事場を構えた博多さん、放送作家の前は芸人だったんですよね。まずはそこからお話を聞かせていただきました。

 

 

お笑い芸人になったきっかけは?

芸人になりたいとは全く思ってなかったんですが、浪人してる時に、深夜のテレビ番組で素人が参加できるコーナーがあって、それに同級生と出たのがきっかけです。

出たらウケて、ディレクターの人に「よかったら毎週けーへんか?」って言われて半年くらい行ってました。エンドレスナイトって番組に。

一緒に出たやつがお笑い好きやって、吉本に学校あるけど行かへん?って言うてきたから、ほな行こか!って、NSC10期生として入学しました。

 

ーーー え、 大学は? 行くのやめたんですね笑。潔くて良いと思います!そんなテレビでウケたら楽しくて仕方ないですよね!!友達の影響もでかいですね。

でも、

 

コンビじゃなくて「カルテット」としてデビューしたんですか?

もともとは友達と2人でやるつもりやったんですけどね。

在学中に2丁目劇場のオーディションがあって、NSCで仲良くなった奴らと、遊び感覚でというか実験的に出てみよか!ってなり4人で出ることになったんです。結果は1回戦で負けましたが・・。

実験的に出たとはいえ負けると悔しいじゃないですか、ほんでまた出てたら3回目で優勝したんですよ。優勝したら2丁目劇場の出番もらえることになって。

喜ぶところですが、僕ら2人でやりたいのに4人で出番もらってしもた・・・どうしようかーって空気になってたんですけど結局、4人でやることになったんです。それがカルテット「電車道」の始まりでした。

 

4人グループには納得してたんでしょうか。

最初はしゃーないからと思ってましたけど、また2人に戻ろうとかはなかったですね。

僕ら4人で「電車道」として3年半しかやってなかったし人気も全然なかったんですが、短期間にしては、賞レースでうまいこと賞取れていい感じやったんですよね。

<受賞歴>

  • 第14回ABC新人グランプリ 審査員特別賞
  • 第25回NHK上方漫才コンテスト 最優秀賞
  • 関西テレビ爆笑BOOING初代グランドチャンピオン

 

電車道」で実績を残されていたのになぜ解散することに?

まぁ、ええ年頃の男が毎日ずーっと会うてたら、ギクシャクはしてましたね。

2人が辞めたいって言うてきて、自然な流れで解散となりました。

もともと芸人は向いてなかったと思うんです。こうやって普通に歩いてても浮いてるんですけど、芸人の世界でも浮いてる気がしてて、なんかもう1回やるのもなぁと思ってました。

あるきっかけで、当時あった「マンスリーよしもと」って小冊子のお手伝いすることになり、取材したり記事を書いたのが、書く仕事の始まりですかね。

 

 

放送作家の師匠、疋田 哲夫氏の事務所に所属された経緯は?

東京にも興味あって、解散して1回東京行った時、たまたまイベントでトミーズさんが来てたんです。そのマネージャーさんがお世話になってた人やって、「トミーズのイベントスタッフに若手がいないからやってみーへんか?」って言われたんですね。

その話と同時期に、当時新しくできた渋谷の劇場の支配人にも、「東京でやりたいんやったら、今、座付きの構成作家いてないから来るか?」と言ってもらって、2択やったんですよ。

結果、トミーズさんを選びましたね。

ほんで、トミーズさんの会議に出てた時、若いスタッフが必要やし、やるか?って声かけられたのが師匠の事務所に所属するきっかけですね。

 

ーーーわー!そういう話って一気にくるんですね。しかもビッグなチャンス!!そんなんやってみないと分からないし賭けですよね。で、大阪を選んだってことですね。

違う道を選んでたら・・・とか今になって思うこともあると思いますが、 そこから28年も!こんな長く放送作家を続けれる、書き続けられるって簡単じゃないですよ。

 

 

芸人から放送作家になる方が多いと思うのですが、ネタを考えるのと通ずるものがあるのでしょうか。

ゼロではないと思うんですが…。

僕、駆け出しの頃「たかじんのバー」に入れていただいて、あの番組コントがあるんですね。

やっぱり「お前やっててんからおもろいの書けるやろ!」って言われるんですけど、僕らが面白いと思ってることをコントにできるんであって、番組が要求してることが書けるか言うたらまた違うじゃないでですか。

それで、僕が書いたら「お前おもんないやんけーほんまに芸人やってたんか!」と言われたり・・・。
若手の時はなかなか辛かったですね。

あとで分かったんですが、番組って企画じゃないですか、ネタ書くのと違うんで、ボケツッコミがある番組やったらいいんですが、そういうわけにはいかないってのは全く違うとこですね。

僕は師匠に会うまで、放送作家って仕事があることも知らなかったですが、今の若手は憧れてなってる子もいるかもしれないですね。

 

 

放送作家への道は楽しいですか?

実は下心もあって・・・。

当時放送作家の人が結構テレビに出てたんですよ。新野新先生とか。放送作家さんがラジオに出て喋ったりしてたんを聞いてて、「この方がメディアに出れるんちゃうか?」と言うのもあって裏方にまわったんですけど、いざ仕事したら、すごい楽しくて、テレビに出るとか出ないとかはもーえーわ!って思いましたね。

若い時は、自分が考えた番組が形になる喜びがあったり、それが高い評価受けたり視聴率につながると嬉しかったですね。

今は、自分の好きな人、僕だったら吉本の芸人さんと一緒にいたり仕事できる時はやっぱり楽しいですね。

今やってる収録もみんな好きでめっちゃ楽しいです。企画書が通って立ち上げた番組「八方・陣内・方正の黄金列伝」なんですが、陣内とかめちゃくちゃ忙しくて会えない子らとも番組で会えるのは嬉しいですね。

 

ーーー 仕事をする上で、人ありきだとおっしゃっていましたが、まさに同感です。誰とするか、誰のところに行くか。人が大事って思うお年頃ですよね。

そうやって形になって好きな人たちと仕事ができるのは最高ですね。その楽屋とかめっちゃおもろそう!!

 

 

仕事で苦しいなーって思うこともありますか?

集中気質なんで、台本打ってる時、知らん間に息止めてて、むちゃくちゃ呼吸苦しい時があります。それくらいですかね。

 

ーーー え、その苦しさ? 思わず爆笑してしまいました。楽しいってことですね。

放送作家の博多さんですが、実は大正区でもご活躍でした。「あ、知ってるー!」という方も多いのでは!?

 

 

大正区「千島公園イベント広場 くさっパひろっパ」の考案者!

昨年9月、千島公園内の施設の愛称募集の最優秀作品に選ばれたお方だったのです。まさに噴水の名前付けた人ですね。(厳密に噴水じゃないですが笑)

大正区の広報誌「こんにちは大正」にも度々登場されていました。失礼ながら、顔と名前と肩書きが全く一致していませんでしたが。おめでとうございます!

4月と5月の広報誌をチェックです!

 

 

今後の野望はなんですか?

ほんまは何も気にせず、自分が面白いと思うことをやっていきたいですけど、僕がおもろがってるだけで、多分お金につながらないので難しいですけどね。

釣りのYouTubeはやってて、今後も釣りで何かできたらなぁと思ってます。

 

ーーー イカでかすぎですね!! 趣味の域を超えて本業になるってこともありそうな予感です。

 

 

釣りは「フラッグフットボール」の次の趣味として始めました。

フラッグフットボールは、スポーツの種目。アメリカンフットボールで行われる「タックル」に代わり、プレイヤーの腰の左右につけた「フラッグ」を取ることに置き換え、敵味方の選手同士の身体的接触は原則として禁止(反則)とした、より安全で幅広い層が参加出来ることを目指したフットボールである。

 

14年前、フラッグフットボールというスポーツをやってたんですが、日本で優勝して、日本代表で世界大会に行って、その後ヨーロッパ選手権にも行って、もう年齢的にも引退しようと思ったんですけど、なんかまた次の趣味見つけたいなと思って、釣りの番組見てたら、景色が良くて、釣りええなぁと思ってたんですよね。

その時、ダイアンのラジオやってた時で、西澤が「マジスカ 僕も釣り興味あるんすよ、一緒にやりませんか?」って言うから、ほんじゃやろかーって2人で釣り道具買いに行ったんです。ほんだらね、あいつやらへんのですよー。しゃーないから僕1人でとっとパークっていう海釣りの施設に行ったら、魚が釣れたんですよ!!もうそれでハマりましたね。

気づいたら、相方の津田と一緒に釣り行くようになってました。

 

ーーー 日本一で世界大会!? なんかさらっと聞きましたが、めちゃすごいですね!! 日本一ってカッコイイ!!

実はロンパルの店長も一緒にフラッグフットボールをされてて、今は毎週釣りに行く仲間なんだそう!この釣りにも下心がありそうですが、1人で釣りに行ったことから始まってめっちゃ広がってますね。西澤さんの釣り道具はどうなってるんでしょうかね。

 

 

YouTubeは  「大阪湾デリシャスフィッシング研究会」やってます!

市場でも美味として有名な大阪湾で獲れる魚を、自分たちの手で釣って食する大阪湾デリシャスフィッシング研究会。毎回地元の釣り達人からコツをレクチャー。

釣った魚の捌き方や美味しい料理まで説明されています。さすが魚屋の倅!

釣りよりも魚の捌き方に食いついてしまいました。分かりやすいので是非こちらもチェックしてみてくださいね。

 

 

取材を終えて

気がつけば取材時間をかなりオーバーしていましたが、楽しくてまだまだ帰りたくなかったです。

雑談力?こういうのってやっぱセンスですよね。話のネタがおもろいのか、いや話し方が上手いのか?なんか分かりませんが、とにかくずっと笑ってましたね。おもろい人って頭がキレる!の意味がわかりました。

この記事には書ききれないことがいっぱいですが、今日はこの辺で。

大正区のこの場所で、あの人気番組が生まれていたとは、なんだか嬉しい瞬間でもありました。

次はさんせん商店街でばったりお会いできる日を楽しみにしています。

 

 

【お邪魔したお店】
有限会社 仕事場
住 所:大阪市大正区三軒家西2-13-22
電話番号:06-6552-7865

《事業内容》テレビ・ラジオの放送番組の企画・構成・制作・各種イベントの企画・構成・製作・番組リサーチ・イベントの企画・動画の撮影編集など

Nishiura

大正区研究中のライター西浦です。
大正区の魅力を楽しく分かりやすくお届けしていきます。

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