楽しいことが勝手に生まれてる場所!まさに【ブリコラージュ】な空間

こんにちは、大正Labo西浦です。

またまた気温が下がり冬の寒さを実感し始めた年末、大正駅からバスに乗り、南恩加島にある、とってもあったかい場所「ブリコラージュ」さんへお邪魔しました。

 

住宅地に突如現れる、木の空間

こんな可愛いお店が大正にあったんや!!

外観を見ただけでテンションが上がりワクワクが止まりません。大きな扉を開いてお邪魔します。

 

わぁ〜 木のぬくもりを全身で感じれる広い空間。一瞬でここに住みたい!って思いました。どこから見せてもらおう?そんなワクワク感。店内に入って、もう既にテンションマックスです! そしてこのなんとも言えないあたたかさ、一気に和みました。

居心地良さそうなおしゃれな空間に訪れましたが、一体何屋さんなんでしょうか。

 

 

「ブリコラージュ」ってどんな会社?

一言では表せません!が、創業70年、木のものづくりを得意とする会社です。

姉弟3人とご両親のご家族で営んでおられます。会社というか、ブリコラージュ一家ですね^^

オーダー家具や造作の設計、デザイン、製造から空間の改修まで、住まいを始めとする空間のデザイン設計や、リフォームのご相談も承っています。そしてショップとギャラリー・・・

ものを作ったり設計したりっていう柱があり、さらに自分たちの楽しいことをする場所とショップがある。それが仕事につながっている感じなんだそう。

 

【ショップ&ギャラリー】
先代が営んでいた元家具工房を改修した木造の空間です。

1階にはクラフトや木製のおもちゃ

 

作家さんの雑貨、

 

オリジナル家具が並んでいます。

 

 


2階は吹き抜けのギャラリーになっています。今はなかなかイベントがないのですが。
階段も昔ならでは! 昔、2階で家具を組み立てていて、家具を下ろすために階段の横幅が広いそうです。今はなかなか見ないですよね。奥行きは狭く、初めての人はそろりと上り下りされてるようです笑

ショップの奥は、設計事務所を併設されています。

 

【工房】
大正区の小林に自社工房があります。職人さんがオーダー家具の製作をされています。先代のお弟子さんが今も若手の指導にあたり、日々いい汗を流されてるそうですよ。

本当に、一言では言い表せないほどワクワクがたくさん詰まった会社ですね。どんどん引き込まれていきます。

 

 

なぜ大正? ブリコラージュのルーツが知りたい!

本日は、ブリコラージュ一家の長女、デザイナーの増谷朋恵さんにお話を聞かせていただきました。

朋恵さんは美大出身で、家具の図面やデザイン、パッケージデザインやチラシなども作成されています。デザイナーだけど、今もその肩書きにピントきてないんだそうです笑 その理由も知りたいですね^^

 

小さい頃、私たちの遊び場は工場でした。職人さんが端材をためる大きな木箱があって、そこから木を取って釘で打って物を作っていました。職人さんが休憩時間に簡単なおもちゃも作ってくれたり、そうやって育ってきました。

父の仕事も側で見ていましたので、設計の勉強をしてなくても図面をどうやって作るのかは、なんとなく肌で分かるものがありました。自分でもびっくりしましたね。絵を描いてるけどどっか図面に近かったり、落書きの紙は青焼きのでっかい紙の裏だったり。小さい頃から、ものづくりの背景が染み付いてる感はありますね。絵は好きで、高校の頃はもうずっと絵を書いていました。

気づけば、自分の出来ることと出来そうなことは何でもやってきて、今に至ります。一言で言うと、高校の頃から絵しか描いてない、何でも屋です笑。

ものづくりの仕事も「こうやったらできるんじゃないか?」と試行錯誤しながら、ややこしい物も作ってます。自分の中に答えがなければ、知ってる方や、他の分野の方に頼ったり知恵を借りながらやっています。

 

ブリコラージュ一家のお姉ちゃんは、もう面白い人に違いない!そう確信した瞬間でした。

 

もともとは下請けの町工場

ブリコラージュの前身は、戦後、家具職人だった祖父が始めた下請けの小さな家具工房でした。

大正は昔、貯木場があったので材木が手に入りやすかったようです。なので大正が良かったんでしょうね。当時はロバが引っ張って納品に来てた、そんな時代だったそうです。

職人さんは、ご縁があり島根県出身の方が多く、寝食を共にしながら、昔ながらの町工場のスタイルで祖父がやっていました。特殊なものや細工の難しいものを得意とする家具職人でした。

その頃父は、木工はやりたくないし工場を継ぐつもりもなく「建築士」として勤めていました。そしてちょうど建築士として独立しようとした矢先に、祖父が倒れてしまったんです。祖父が請けてた仕事を職人さんだけは手に負えず、父が助けるしかありませんでした。「それはもちろん助ける」といった父は、「それを納品できたら工場を閉じる」という想いで手伝っていたのです。が、

そんなことを言ってる間にも仕事が舞い込んできて、そのうちその仕事を評価されルようになり、いつの間にか色んなところから声がかかるようになったんです。
ただの下請け工場だった会社が、作る面白さに目覚め、「自分が設計して職人さんが作る」「言われた物だけを作る工場ではない」というスタイルが出来てきたので、辞めずに父が継ぐことになり、設計もして物も作るという形になりました。

父は仕事が趣味なので、70代の今もまだ現役です。あの時代の設計士なので、キャドとかパソコンでは図面が書けないんですよね。でも手書きのスケッチはめっちゃ綺麗で、すげーっ!てなります。すんごい綺麗で分かりやすい図面を描くんです。書き直さなくていいレベルで、これキャドいらんやん!って驚くほどです。昭和ってすごい!と思いましたよ笑

 

ショップ&ギャラリーの始まりは?

やっぱり面白いことがしたい、という父の発案からです。

作る仕事と設計ってお客さんに会うことがなかなかないのですが、それでは面白くない。もう少し「人と繋がれる居場所が欲しい」という想いもあって、一時期、泉尾に少し広い場所を借り、自分たちで作った物を展示するスペースを作ったのが始まりです。

先に箱があって、中身があったわけではないのですが、母のアイデアで色んなきっかけが繋がり、ミュージシャンがライブをしたり、落語会やったり、手織り教室があったり、朝から晩まで超満員だったそうです。母の思いが身を結び、中身が出来ていった感じですね。

そこで出会った方が有名になったり、母の繋がりが私の代にまで繋がっています。ものづくりと設計をやりながら、いつの間にか人との繋がりも増えていきました。そんな「外と繋がれる場所」を両親が作っていました。

その後工場を小林に移転し、元工場だった跡地にギャラリーも移転しました。それがこの場所です。大正区は台風の災害を受け、2度ほど浸かってしまいました。材木が流されたり、機械もダメになり、半分立て替えて今の原型があります。

 

ブリコラージュって名前の由来は?

事務所を移転する時に父がつけた名前です。

フランス語で、趣味でお父さんがやる日曜大工的な訳なのですが、「本来持ってた用途や目的を自分なりの解釈で変容させて新しいものを作ろう」という意味が込められています。

普通は、これを作るためにこの材料を買いましょう、となりますが、そうじゃなく、あるもので新しい価値を伝える。それってお母さんが冷蔵庫にある残り物で美味しい料理を作る感覚に似てますね。何料理って名前はないけど。

そんな新しい、価値のある面白いものを生み出せていけたらいいなという想いを込めてブリコラージュと名付けたそうです。

 

どんなお客さんが多いですか?

近くの方が毎日来るというより、遠くの方が目的を持って来られることが多いですね。イベントで知り合った方や、作家さん繋がりで知った方が、たまに帰る実家のような感覚で来てくれています。

また、数多ある既製品の中から気に入る家具が見つからない、選ぶのも難しく、ココがこうだったらなーって思うこともありますよね。そんなイメージを持ったお客さんからオーダー家具の依頼をいただいたり。

店舗の受付カウンターや、木のドア、パネルなど、依頼をいただく物も幅広く、お客さんも様々ですね。

 

どんな方に来店してほしいですか?

作ることが好きだったり、絵が好きな方、そういうことに興味がある方が、展覧会やイベントやワークショップを通して来てくれたらいいなあと思います。

ブリコラージュに来てる方同士が、いつの間にかお友達になってるんですよね。そんなきっかけが私は嬉しくて。何に興味があってもなくても、本当はどなた様もお気軽にふらーっと来ていただきたいです^^

 

今後はまたお子様が受け継いでいく予定ですか?

いわゆる後継者問題ですよねーー 本当に難しい問題ですね。考えなあかんなーと思いながら先のことはまだわかりません笑

ものづくりって地味なので、後継していくとなると、事業が安定的にやっていけるんだろうかって心配もあり、自分たちが苦労したり父が苦労してるのも見てるので、そう簡単じゃないよねってのはあります。

ここを継ぐというよりは、誰かがまたやってくれたらいーな。世の中にこんなことする人が増えたらいいなあ。競合ではなく自分から発信していく場所、こんな場が増えていったらいいなあと思いっています。

どの兄弟の子がやるのか、やらないのか?もう未知数ですし、横つながりで繋がっていけたり? 今後の課題でもありますね。

 

 

 

 

木のことを教えていただきました。

木って、春夏はお日さんサンサンだから成長が早くて、秋冬はゆっくり育つんだそうです。なので秋冬の木目の幅は細いけど春夏の幅は広くて柔らかい。

その特徴を生かして生まれた商品が、この「年輪はんこ」です。

吉野杉の端材を、●▲■に形成し、図形の中を固めの金属ブラシで擦ります。すると凹凸になり、インクをつけるとその形も全部違うんです。それを生かしてハンコにしたら面白いんじゃないかって考えたんだそうです。

もともとは趣味で作られてたのですが「のきさきあるこ」のイベントをきっかけに商品化されたんだそうです。
次は、丸太をハンコにすることができないか?現在妄想中だそうです。切り株を版画みたいに。魚拓ならぬ木択、とか。

このアイデアもさすが!朋恵さんの発想はやっぱ面白い!

 

こちらは、1枚板のテーブル。素敵ですね。実はとっても重くてビクともしないので、板を台の上に乗せてるだけだそうです笑 乗せてるだけでカッコイイこの存在感!!これもアイデアですね。

 

 

大正区について聞いてみました

朋恵さんから見た大正区って、どんな街ですか?

大正区は生まれ育った街ですが、昔はあまりいいイメージがなかったですし、好きな街って感覚もなかったです。若い頃は違う街に出て行きたかったですし、地域でどうあるか等も考えたことがなかったですね。

でも、大正区の人は素朴でいい。変に飾ってる人がいなくて、ツンとした人もいない。かっこつけず、正直で、とにかく話しやすい人が多いです。これは他の地域に行った時に気づかされました。それが大正区の魅力でもありますね。今は、昭和のにおいがすごく残っていて、あったかい街だなあと実感しています。

カーブミラーが必要ってなったら、近所のおっちゃんがいつの間にか許可とって付けてくれてるんですよ! そんな区は他にないですよね!!笑

大人になって、気づけばここ10年くらいでこんなに変わってた、いろいろ気づかされた、って感じです。

 

これは私たちも実感してる、大正の人の温かさですね。

 

「大正区名物」って何ですか?

大正区に来る方にオススメするとしたら?

「渡船からの景色」ですね。
季節の移り変わりを感じる事が出来るんです。それがとっても楽しいです。2分位なのですがちょっとした船旅です笑

千本松渡船場、11月には夕日が抜群なタイミングで見れたり、渡船場から造船所が見えるのですが、それも面白いです。冬には渡り鳥が来たり。

こんなに汚い運河だけど、そういう景色だけは昔から変わらへんのやなあ〜と思いながら乗ってると楽しいです。是非、渡船からの景色を感じてください。

 

なんと、朋恵さんの通勤は渡船!! 渡船通勤してる人に初めて出会いました。

実家は南恩加島ですが、現在は阿倍野区民。千本松渡船場から西成区へつないでいて、そこから阿倍野区へ。一切公共交通機関を使わずに通勤されてました。大正駅ですら行かずに、超ローカルなところで生活してます、と。

同じ大正区でも生活シーンが全然違うー!それもいい時間の流れですね。まだ1度も乗ったことがない渡船、ますます乗ってみたくなりました。

 

大正区は、どんな街になってほしいですか?

大正区って以外と広いんだなと思います。ここで長くやっていますが、大正区に知り合いがすごく多いわけではないので、また大正で色んな事をやってる人と新しい繋がりが出来たらいいなって思います。

新しいところと古いところが共存、そうやって新旧入り混じっていける街になったらなーって思います。もう既になってるのかな?

自分の場所があって、時間も限られているのですが、私も足を運んで行きたいなと思います。

 

 

お母様にも「昔の大正区」のことを聞かせていただきました

45年前に、結婚して大正区に来ました。その頃は物騒な街、空気が汚い街とだと聞かされてきました笑 場所にもよりますが、確かに物干し竿を拭くと黒くなってました。小児科の先生に「洗濯物はパンパン叩いて取り込みなさい」と言われたこともありました。道路が近いのもありますが、地震かな?と思うくらい揺れたこともあります。当時は船が着いたり、外国の人も歩いていましたよ。だいぶ昔のことですが… 沖縄が注目されてから面白い街だと言われるようになってきましたね。

最初は変な先入観があったので、外に出るのも緊張しましたが、住めば都で、今となっては住みやすい街です。

 

そして、当時の区長さんが大正区の歴史を掘り起こされていて、「大正区こそ第九を歌う意味のある街だ」と言って、第九を歌う合唱団が出来たんですよね。
歴史を掘り起こせば、おそらく日本で最初に第九が演奏されたのは大正区じゃないかと言われてます。今は鳴門と言われてますが。私も昔から第九への憧れがあり、娘や友人の後押しで合唱団に入りました。当初200人くらいのメンバーがいて、すごく楽しかったです!

大正橋の欄干にも「第九」の音符が刻まれているのですが、それは、たまたま第九なんだそうです。設計者の奥様の”楽しいのがいいんちゃう?”というアドバイスで。詳しくはドイツ友好の会、大正歴史を語る会の方にもお話しを聞いてみてください。

公募区長制が始まる前の区長さんなのですが、その方のおかげで大正区が好きになりました。大正区を活性化するために、若い方に来てもらうにはどうしたらいいか? 「まず住んでる人が自分の街を好きにならないとダメなんじゃないかな?」とおっしゃっていたのが印象的です。

 

すごい影響力ですね!!そういうコミュニティがあり、一緒に出来る事があると活気付きますよね。合唱団気になります!ドイツ友好の会、大正歴史を語る会も!!また改めて取材させていただきたいと思います。

 

 

 

人との結びつきは財産

人との繋がりや、そこに集まる情報って宝物だと思うんです。こんな時期こそ「人との繋がり」それが一番のパワーになります。

ブリコラージュの場合は、作家さんやものづくりの方がいることで、繋がりが本当に広がっています。離れてても繋がってる。展覧会があって知らない人同士が繋がる。展覧会に来た方とお話しするのはとっても楽しい。自分がやりたかったことや、大事にしたかったことに皆さんも気づき始めて、繋がりをより認識し始める人が増えました。これからもその機会を増やせていけたらなって思います。

自分が暮らす環境を良くしようと思うことは大事だし、平和に貢献してると思うんです。そしておもろいことがしたい!

大正区は面白い人が多くて、いろんな人に繋いでもらって今があります。自分もそうやって年をとってるのですが、今は年をとるのが楽しいです。

 

 

最後に

「楽しいことが勝手に起こってるのが嬉しい」「ここで出会ったのがきっかけで何かが始まってる事がとても嬉しい」そんな朋恵さんの言葉を聞いて私も楽しくなりました。何かのきっかけが生まれる場所、素敵ですね。まさにブリコラージュな空間。また新たな気づきをたくさんいただけました。

あの空間に、いつかカフェができたらいいなあ。たまに行く実家のようなあったかい場所へ、またお邪魔させてください。

木のおもちゃ、作家さんの作品や雑貨、出産のお祝いやお洒落なプレゼントをしたい方にもおすすめのお店です。是非ふらりと足を運んで見てくださいね。

 

 

【お邪魔したお店】
オーダー家具、空間改修+ギャラリー  ブリコラージュ

住 所:大阪市大正区南恩加島2-11-17(南恩加島バス停より徒歩1分)
電 話:06-6551-4180
営業時間 : 10:30〜18:00
定休日:水、日
Instagram @bricolage_gallery

Nishiura

大正区研究中のライター西浦です。
大正区の魅力を楽しく分かりやすくお届けしていきます。

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